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アキちゃんの取材レポート①!「川原厳栄堂」に聞く、宮島焼のルーツ

2019.10.25

こんにちは、瀬戸アキです。

ここはJR広島駅ekieにある「しま商店」。ここの一角に、広島県伝統的工芸品である「宮島焼」のコーナーがあります。素朴で優しい色合いと、もみじのモチーフがかわいらしくって、とても人気があるんですよ。

今回は宮島焼の御用窯として、今も宮島焼を焼きつづけている「川原厳栄堂」を取材させていただけることになりました。さっそく行ってきます!

川原厳栄堂はJR宮島口駅から徒歩2分。

地下道を通って、宮島行のフェリー乗り場に向かう駅前通りの途中にあります。

到着しました~。川原厳栄堂は店舗兼工房になっていて、広い店内いっぱいに宮島焼きが並んでいます。

店舗のすぐ横に工房があり、職人さんが宮島焼を成形する様子は、お店の外からも見ることができるようになっています。

今日は川原厳栄堂の三代目、川原陶斎の娘さんにお話しを伺いました。

アキ:今日はよろしくお願いします。川原さんはいつ頃から、この地で宮島焼を焼いていらっしゃるんですか?

川原:明治42年からです。初代陶斎である私の曾祖父は淡路島出身で、京都で焼き物の修行をしていました。粟田焼という焼物の修行をしていたと聞いています。ちょうどその頃、ある実業家が「ここで自分の窯を持って、(ビジネスとして)職人に焼き物を作らせたい」という思いで職人を呼び寄せたのですが、その職人の一人に、私のひいおじいさんがいたんです。後に、その窯を引き継ぎ、現在に至るということです。

昔(おそらく戦前に)制作した器①

アキ:宮島焼のルーツは京都なんですね。その粟田焼と宮島焼の共通点はあるんですか?

川原:今の宮島焼と粟田焼は全く違うらしいです。こちらの土がそれまで使っていた土とは違っていたようで、当時はこの近辺の土を使っていましたが、薄く作ると割れやすく、うまくいかなかったそうです。試行錯誤を繰り返し、だんだんと今の宮島焼ができていったのです。

アキ: 今もこの近辺の土を使っているんですか?

川原:いいえ、あまりいい粘土ではなかったので、ここの粘土がいいという話を聞いてはそこへ行き、取って帰って、の繰り返し。第二次世界大戦後、つくった器を焼いてほしいと持ってきた人がいて、焼くといい色が出て、それが東広島の西条の土だったんです。

昔(年代不明)制作された器② 質感や色が現在の宮島焼と異なる

アキ:今も東広島の土を使っているんですね。宮島焼と言えば、本物のもみじの葉を使って付けた模様が特徴的だと思うのですが。

本物のもみじの葉を使って付けた模様

川原:よく「もみじの模様が宮島焼の特徴なんですよね」と聞かれますが、実は、もみじの葉を使って模様を出すやり方は20年くらい前から始めたものです。宮島らしさを表現するために、はじめは絵を描いていましたが、絵付け担当の女性が本物のもみじの葉を貼ってみたらどうかと試行錯誤の末、開発しました。

絵付けをした器は現在でも販売している

川原:もみじの葉は5月~6月の剪定時期に1年分をストックします。廿日市市にあるもみじの大木を剪定する際に、切り取った枝を頂いています。それから虫食いのある葉や、丸まっている葉を取り除いて、きれいな葉を大・中・小・極大・極小にわけて冷凍保存します。この時期の葉を使うのには理由があって、4月頃の若い葉は柔らかすぎるし、反対に紅葉する頃の葉だと乾燥してしまっていて使えないんですよ。

実際に使用しているもみじの葉

1枚のもみじの葉を使用できるのは1回限り。さらに焼き方や土の加減でも色や模様が変わるから、2つとして同じものが存在しないのが宮島焼の魅力でもあります。

続いては、宮島焼の制作工程を見せていただきましたよ。

 アキちゃんの取材レポート②!「川原厳栄堂」に聞く、宮島焼の制作過程

※掲載内容は2019年10月時点のものです。
※価格はすべて税込です。